札幌散策 大通公園編

札幌市民の憩いの場 〜大通公園〜
1871(明治4年)、札幌の中心部を北の官庁街と南の住宅・商業街とに分ける大規模な火防線として計画されたのが大通公園の始まりである。幅105m(58間)の火防線は当時の都市計画の常識を超えていたが、片側3車線+歩道を備えた現在のレイアウトでも、公園幅が65mも取れるほど、余裕のある計画は先見の明があったと言えるかもしれない。

大通公園は一般的に大通西1丁目から西12丁目までの長さ約1.5kmのグリーンベルトを差すが、ここでは札幌市資料館のある西13丁目までを含め、地下鉄西11丁目駅から大通までを歩いて散策するルートを紹介する。公園内は、13丁目から順に「花・フロンティア・つどい・オアシス・交流」の5つのブロックに分けて構成され、順に歩いて行くと、何となく公園の雰囲気が変わっていくのがわかる。夜間はテレビ塔や札幌市資料館・噴水などの施設が22時までライトアップされていて、夜景の散策にも適している。札幌のイベントの多くはここを中心に行われ、春のライラックまつりを皮切りに夏のよさこいソーラン、さっぽろ夏祭り、冬のホワイトイルミネーション、雪まつりなどが行われる。

「花ゾーン」大通西12〜13丁目
地図
札幌市資料館(西13丁目)
正面玄関
札幌市資料館(西13丁目)
裏庭
札幌市資料館(西13丁目)
裏庭のひだまりに集う鳩
札幌市資料館の前身は現在の裁判所に相当する札幌控訴院で、大正11年(1922)着工、大正15年(1926)完成。中東・西洋建築によく見られる組積造だが、外壁に札幌軟石を用いた建造物としては貴重である。二階床部を鉄筋コンクリート造で構成するなど新しい技術も使われている。同時期に建造された全国8つの控訴院の内、現存するものは札幌と名古屋のみである。平成9年(1997)には登録有形文化財に登録されている。

札幌市資料館は昭和48年(1973)に開館、内部は札幌開拓の歴史を展示している他、歴史文化相談も受け付けており、自由研究などで訪れる学生の姿も見かける。展示室には絶版となったさっぽろ文庫別冊シリーズ(札幌の風土・文化・郷土史などを紹介する冊子)が全巻あり、これを見ているだけで時間があっという間に過ぎてしまう。札幌出身の漫画家おおば比呂司記念室もあり、旅先の料理を描いた素朴なスケッチなどが楽しめる。

U字型をした札幌市資料館の建物の裏側は木々か立ち並び、ひっそりとした公園になっている。少し暗い感じが札幌軟石の外壁と相まってドッシリとした建造物の印象がより強く感じられる。また、人が少ないせいか鳩が多く集まっていて、リラックスしてひだまりにうずくまる様子なども見られる。火防線として道路に挟まれた公園敷地はここが端点である。ここからの西側は大通は一本に収束し、どこにでもある都会的な街並みになっていく。

サンクガーデン(西12丁目)
全景
サンクガーデン(西12丁目)
若い女の像
中央部を掘り下げ、カナール(水路)を配置したサンクガーデン。斜面を利用した花壇には多品種のバラが植えられ、6月〜10月までの長い期間、バラの花を楽しむことができる。

水路の端と中央部には噴水が設けられていて、夏季は7:00〜21:00まで彩りを添える。札幌市資料館の道路を挟んで向かい側にある銅像は佐藤忠良作の「若い女の像」である。

「フロンティアゾーン」大通西10〜11丁目
地図
円形噴水とマイバウム
(西11丁目)
開道100年記念像(西10丁目)
黒田清隆
開道100年記念像(西10丁目)
ホーレス・ケプロン
円形噴水は昭和43年(1968)、地下鉄の換気施設を兼ねた噴水として設置された。マイバウムは姉妹都市のミュンヘン市から贈られ昭和51年(1976)に設置された。平成12年(2000)に老朽化により撤去されたが、札幌市立高等専門学校の学生が中心となり翌年に復元された。

黒田清隆は初代開拓次官、第三代開拓長官。欧米各国を視察し多くの専門家を国内に招き、官営事業の積極的推進に寄与した人物。ホーレス・ケプロンも黒田の要請により来日。像は昭和42年(1967)の北海道開道100年記念に建てられた。制作は雨宮治郎、題字は町村金五知事(当時)。

ホーレス・ケプロンは黒田清隆の要請を受け北海道開拓顧問を引き受けたアメリカのお雇い外国人。専門は農政だが、4年にわたり専門分野にとらわれることなく、多岐にわたる北海道開拓事業に関わった。代表的な施策は、麦作や魚加工食品の奨励、札幌-室蘭間の道路整備など。

「つどいゾーン」大通西6〜9丁目
地図
木立と遊具群
(西9丁目)
ブラック・スライド・マントラ
(西8丁目)
石畳広場
(西8丁目)
つどいゾーンの西9丁目と西6丁目は大通公園で唯一木立につつまれ、夏場の散策には木陰でホッと一息つける場所。西9丁目には平成元年(1989)から行われた大通公園リフレッシュ工事で遊水路やプレイスロープな多数の遊具が整備され、日中は家族連れで賑わっている。

彫刻家イサム・ノグチが制作したブラック・スライド・マントラは渦巻き状の滑り台。北国の雪にも耐えるように黒御影石で出来ている。また、西8丁目と西9丁目は唯一道路で分断されていない区間だが、これも子どもたちが思う存分遊べる空間を作りたいというイサムの主張により実現している。

広大な石畳空間はインラインスケートやスケートボードの遊び場にはうってつけに思えるが、平成14年(2002)にローラー付遊具の使用が条例により禁止され、現在は閑散とした空間が広がるのみである。ホワイトイルミネーション期間はこの空間を利用して「好きですさっぽろ」の電飾が飾られる。

花壇
(西7丁目)
「漁民の像」
(西7丁目)
「奉仕の道」像
(西6丁目)
西8丁目から西1丁目に至り花壇が断続的に設置されている。春(4〜6月)、夏(7〜9月)、秋(10〜11月)と季節毎に植物が入換えられ、長期間花が楽しめる。特に夏花壇は昭和29年(1954)より続く造園業者のコンクールを兼ねており、工夫をこらした密度の濃い花壇が形成されている。

田畑一作の漁民の像。網を引く二人の男の隣には、かごを持つ母親と子供が寄り添う。像の背後で目立たないが2羽のカモメも飛んでいる。昭和44年(1969)に北海道開道100年記念と北海道漁業婦人連合創立10周年を記念して建立された。

峯孝作の奉仕の道。札幌ロータリークラブ創立50周年記念に昭和57年(1982)に建立。北国の動物(ふくろう、鹿、兎、カラス)が、ロータリークラブの行動基準である四つのテスト(真実か? みんなに公平か? 好意と友情を深めるか? みんなのためになるか?)について議論している光景。

開拓記念碑
(西6丁目)
野外ステージ
(西6丁目)
日時計
(西6丁目)
明治19年(1886)建立の大通公園最古の記念碑。書き手不祥で、長らく榎本武揚の書と言われてきたが、近年の調査で、中国の書聖・王羲之が記した「黄庭経」、「曹娥碑」の2つの拓本から開拓記念碑の5文字を拾い、元開拓使官吏・奥並継が400倍に拡大したものであることが判明した。

開拓記念碑横は、野外ステージと大けやきに囲まれた観客席が整備されたイベントスペースである。ライラックまつり(ライラック音楽祭)の小中高学校による吹奏楽演奏を皮切りに、PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)の大通公園コンサートなどに利用されている。

「奉仕の道」と同じく札幌ロータリークラブの寄贈による日時計。日時計の針はブロンズ製で札幌の緯度に合わせて43°で固定されているが、花の文字盤は造園作業でずれが生じることもある。それ以前に、周りを木々に囲まれているので、日時計として機能する時間は意外と短い。

「オアシスゾーン」大通西3〜5丁目
地図
芝生広場
(西5丁目)
聖恩碑(せいおんひ)
(西5丁目)
西6丁目を抜けると、円形花壇を配した開放的な芝生広場が広がっている。大通公園名物のとうきび屋台は、ここから登場する。まだ中心部から少し離れているので、人もまばらでのんびりした空間である。

北海道の陸軍大演習と昭和天皇行幸記念に、明治・大正・昭和の三天皇の業績をたたえる碑として昭和13年(1938)に建立。周囲の池と四隅の水飲台は札幌市の水道事業完成記念の一環として整備された。

とうきびワゴン
(西4丁目)
噴水
(西4丁目)
噴水広場
(西3丁目)
名物のとうきびワゴンは明治後半の闇屋台が発祥。昭和40年(1965)には増えすぎた屋台が社会問題化し、一旦排除されたが「街の風物詩を取り戻せ」との声に押され観光協会に屋台運営を委託する形で2年後に復活した。7月中旬からは冷凍から生とうきびに替わり、いっそうおいしくなる。

昭和43年(1968)に札幌創建100年記念の一環として北海道銀行より寄贈されたもの。7枚の花びらに見立てた噴水塔に水が吹きつけられる仕組みで、上部には鶴が風見鶏として配置されている。夜間はライトアップされ、冬季ホワイトイルミネーション期間中は針葉樹の電飾が置かれる。

駅前通りに面した噴水広場は観光客など多くの人でにぎわっている。風のある日は、噴水からのしぶきが結構な勢いで飛ぶが、夏場などはそれが周囲の気温を下げ、ひんやりとした気持ちの良い休憩スポットを形成しており、一息つくにはもってこいの場所である。

石川啄木歌碑
(西3丁目)
噴水
(西3丁目)
牧童の像
(西3丁目)
歌碑は昭和56年(1981)に石川啄木の70回忌にちなんで建立された。碑には 「しんとして、幅広き街の秋の夜の、玉蜀黍の焼くるにほひよ」と書かれている。一見難しい感じがするが要するに「秋の夜に札幌の街を歩いていたら、とうもろこしの焼ける匂いがした」という、何とも大通公園に相応しい歌である。

西3丁目の噴水は昭和37年(1962)に今はなき北海道拓殖銀行本店の新築記念事業の一環として札幌市に寄贈されたもの。現在の噴水は2代目で平成3年(1991)の大通公園リフレッシュ工事の際に、再度、北海道拓殖銀行より寄贈された。「生命体の躍動」をテーマとして15分間で1サイクルの水のショーが見られる。

昭和31年(1956)に牛乳の出荷量が100万石を突破した記念に、北海道の酪農関係者一同により建立されたもの。牛とたわむれる子供を模した可愛らしい像だが、戦後に大通公園に設置された最古のものであり、見た目以上に歴史のある像でる。ちなみに100万石とは1億8039万リットルと途方もない数である。

「交流ゾーン」大通西1〜2丁目
地図
テレビ塔の見える広場
(西2丁目)
開拓母の像
(西2丁目)
壁泉
(西2丁目)
西2丁目まで来ると、さっぽろテレビ塔がかなり近くに見えてくる。テレビ塔を背景に記念撮影をするには、最もうまくファインダーにおさまる距離である。派手な施設がないため、比較的空いていて終始のんびりとした空気が流れている。

昭和38年(1963)に北海道農協婦人部連絡協議会の創立10周年を記念して、北海道の開拓を支えた全ての母への感謝の念をこめて建立したもの。作者は子供や若い女性像に定評のある佐藤忠良。子どもをやさしくあやす母親の姿を表現している。

平成4年(1992)に大通公園リフレッシュ工事に伴い整備されたもの。高さ1.8mの壁泉は、33mとかなりの長さがある。背面にはアメリカノウゼンカズラが植栽されている。石壁を流れる静かな水流が心地よい空間を形成している。

花の母子像
(西2丁目)
さっぽろテレビ塔
(西1丁目)
NHK札幌放送会館・本館
(西1丁目)
花の母子像は子どもをやさしくあやす母親の姿を、ゆりかご型のフォルムで表現した、美しく安定感が感じられる像。北海道岩見沢市出身の彫刻家、山内壮夫の作品である。台座には。「丸井今井」、「1971年」、「贈」、「創業百年」と断片的に記されている。制作経緯について、詳しい情報は得られなかった。

さっぽろテレビ塔は高さ147.2mの電波塔として昭和32年(1957)に完成。地上90.38mの位置に展望台があり、360度の眺望が可能。一段下にある地上22.9mのスカイラウジには、西向きの窓があるレストランがあり、大通公園を眺めながらの食事が楽しめる。冬季のイルミネーションイベント時のディナーにお薦めである。

日本放送協会(NHK)札幌放送会館は、地域放送局の一つで、北海道ネットワークの中心的な役割を持つ拠点局であることから総称して「NHK北海道」とも呼ばれている。屋上には大きな温度計が設置されている。「NHKの温度計では何度だったよ」というような会話がよく聞かれ、札幌の気温を知る上でのバロメータ的存在。


参考文献:札幌市資料館パンフレット、おおば比呂司記念室パンフレット、さっぽろテレビ塔パンフレット、ようこそさっぽろホームページ、札幌市文化資料室ニュース第2号・2007年2月、札幌市公園緑化協会ホームページ