北のウォール街 〜日銀通り周辺〜 (地図) | ||
小樽運河の浅草橋から小樽駅の方に伸びる通りが日銀通り。この日銀通りと色内大通りが交差する辺りを中心に、かつての小樽経済を支えた金融街が拡がっている。「北のウォール街」とも呼ばれた地域には、最盛期には19もの銀行の支店が置かれたそうだ。 |
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日本銀行小樽支店 | 旧北海道銀行本店 小樽バイン |
旧北海道拓殖銀行小樽支店 ホテル1・2・3小樽 |
明治45年建造の煉瓦造二階建の建物。ついに廃止になった日銀小樽支店。廃止翌月の10月にはコンサート会場として使用され、始めて中に入った人も少なくなかったのでは。現在は「日本銀行金融資料館」として公開されている。 | 明治45年建造の西洋式石造二階建の建物は現在ではワインカフェになっている。この建物、私は利用したことはないが、ビール麦芽とワイン果汁の発泡酒「天使の雫」はここでしか味わえない貴重品。 | 大正12年建造の鉄筋コンクリート造の建造物。平成に入り「ホテル小樽・マリッティモ」、「ぺテルブルグ美術館」と様変わりしたが、最近「ホテル1・2・3小樽」として再出発した。昔の銀行の建物の魅力的な外観と、小樽としては異例の格安料金体系が組合わさり、人気を呼びそうなホテル。夜の小樽の起爆剤となるか!? |
旧三菱銀行小樽支店 小樽中央バス第二ビル |
旧第一銀行小樽支店 トップジェント・ファッション・コア(株) |
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大正11年建造の鉄筋コンクリート造の建造物。建設当初は外壁にレンガ色のタイルを貼っていたそうだが、昭和12年に現在の明るい色調に改装されている。ギリシャ・ローマ建築調の半円柱が特徴。 | 大正13年建造の鉄筋コンクリート造。建造当初は外壁に円柱や装飾がありルネサンス様式の華麗な建物だったそうだが、後年に取り外されて現在の外観になっている。 | |
北のウォール街 〜色内大通り周辺〜 (地図) | ||
色内大通りの日銀通りから駅前通り至る区間でも、銀行や商店、ホテルなどの古い建物が立並び小樽経済の中心地であったことが想像できる。かつての駅前通りには、旧安田銀行小樽支店と対面して小樽の経済繁栄期を象徴する店舗建築、旧小樽銅鉄船具合資会社(井淵ビル)があったが、駅前通りの拡幅工事で姿を消し今では見ることはできない。 |
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旧三井銀行小樽支店 三井住友銀行小樽支店 |
旧越中屋ホテル 小樽グランドホテル・クラシック |
第四十七銀行小樽支店 北海道紙商事 |
昭和2年三井銀行小樽支店として新築された建物は鉄筋コンクリート造。壁面には北米産の花崗岩が施されている。「北のウォール街」界隈で唯一都市銀行として機能していたが平成14年11月18日を持って閉鎖。白い恋人で有名な石屋製菓が取得したが、活用計画などは未定 | 昭和6年建造の北海道初のホテル建築で当時は外国人専用のホテルだった。平成5年に小樽グランドホテル・クラシックとして生まれ変わった。 | 昭和5年建造の木造建築。他の銀行建築に比べると小振りな印象だ。後に第四十七銀行は統合され、富山に本店を持つ北陸銀行小樽支店となった。現在では北海道紙商事の事務所として使用されている。 |
小樽商工会議所 | 旧塚本商店 | 旧安田銀行小樽支店 北海道経済新聞社 |
昭和8年建造の小樽商工会議所は戦前は樺太にまで商圏を伸ばし、まさに北海道経済の中心であった。建造当時は正面にステンドグラスが施されていたそうだが、後に今の外観となる。 | 大正5年建造の呉服問屋の店舗は長年、土蔵造だと信じられていたようで今回参考文献として使用した小樽市教育委員会発行の文献でも土蔵造と紹介されていた。現在では建物は木骨コンクリート造りであることが判明し、案内板にもそのように記載されている。 | 昭和5年建造の旧安田銀行小樽支店は、その後富士銀行となり、昭和45年北海道新聞社の社屋となった。二階通しの円柱が特徴の、当時としては古典的な感じの建築だ。 |
旧国鉄手宮線廃線敷を行く | ||
手宮線は北海道初の鉄道路線で日本でも四番目に開通した歴史のある路線だ。元々札樽道として開発していた朝里−銭函間の海岸線ルートを利用し、明治13年、札幌−手宮間開通というスピードデビューを果たした。明治39年に国に買収された鉄道は大正に入り南小樽−手宮間が手宮線と定義され、事実上、函館本線の支線ということになる。これが手宮線の悲劇の始まりと言ってもいい。戦後の経済復興の中、赤字路線を抱える国鉄は乗客数の少ない支線を手始めに廃止する方向で検討を初めた。そのあおりをくらった手宮線は昭和37年には旅客廃止、昭和60年には全面廃線となった。 その歴史的価値からか手宮線は現在でもほぼ全区間で線路が残っている。手宮駅構内は交通記念館となり、また、駅前通りから日銀通りを経て寿司屋通りまでの区間は鉄道の線路脇に歩道やベンチなどが設置されて沿線がひとつの公園のようになっている。ここは、一区間だけでも歩いてみよう、なんとも言えない不思議な感覚にとらわれるはずだ。 |
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拡幅工事が終了した駅前通り | 遊歩道として整備された手宮線 | 日銀通りから見る手宮線 |
駅前通りの拡幅工事で歴史ある建物が壊されて行く中、真っ先に剥がされるだろうと思っていた線路は現在も変わらず敷かれており、道路脇にはSLの動輪を形取った碑が置かれた。 | 遊歩道は踏切などもあり、企画者の遊び心が伺える。左手に見えるのが小樽文学館、線路を横切るのが、日銀通り。日銀通りを挟んだ向こう側にはかつて色内駅があったそうだ。 | 日銀通りから手宮方向を見ると左手が駅のように少し高くなっていて意味もなく「到着〜」って言ってしまいたくなる。実際の駅は通りを挟んだ反対側にあったそうだが、今はその面影を見ることはできない。 |
南小樽周辺の手宮線 (地図) | 手宮高架桟橋の残留物?(地図) | 北海道鉄道開通起点碑 |
寿司屋通りを挟むと景色は一変し、まさに廃線と言う感じで寂しい。右手の路盤は函館本線で、先に見える陸橋が花園公園通り。この先で函館本線に合流するため、散策するならこの辺りまでと思ったほうがよい。危険なので本線横を歩いたりしないように。 | 手宮の交通記念公園の先の海岸には、かつて高架桟橋があり、ここから石炭などの物資を積み込んだという。今ではその橋脚の一部と思われるものが2箇所ほど顔を出しているが、これが本当に高架桟橋の跡なのかは定かではない。 | 旧手宮駅構内に作られた手宮交通記念公園には北海道鉄道開通記念碑があり北海道の鉄道が手宮からスタートしたことを教えてくれる。 |
参考文献:歴史的建造物と町並み・小樽(小樽市教育委員会発行)、北の建物散歩(北海道新聞社発行)、小樽散歩案内2001〜02版(ウィルダネス発行)、田中和夫著 北海道の鉄道(北海道新聞社発行)、宮脇俊三編著 鉄道廃線跡を歩くIII(JTB発行) |