深夜1:30、脚をテントが押して来る感触で目が覚めた。風が出てきたようだ。何かイヤな予感...と思ったら30分ほどでパラパラと雨が降ってきた。その後、雨足が強くなりつつ耳栓をしても聞こえるほどの音が断続的に3:30まで続いた。もうテンションはガン下がりで、この雨の中、どうやってテントを畳んで撤収・下山しようかと考えていたら、夜明けが近づくと共に急に雨が止んだ。
4:00に外に出てみると何と晴れてる。フードロッカーのある高台まで行ってみたがオホーツク海もクッキリ見える。これなら晴れることは間違いないと、とっとと食事を終わらせてテントを撤収。朝5:40に炊事に出掛けた三人パーティに声を掛けて出発した。
サシルイ岳までの道は背の高い低木とハイマツの薮漕ぎ、こうなることを予測して雨具の下は着ているが上着にも水が掛かってくる。カメラバッグにも水が掛かるが、ななみちゃん(D7000)はこのぐらいは全然平気らしい。サシルイ岳の登り斜面から見た三ツ峰岳は圧巻で、背景の羅臼岳と一体となって偉大な山容を誇って見える。
サシルイ岳に立つと手前に通過点のオッカバケ岳、そして、その向こうに目指すべき硫黄山が見えた。うぉぉ、遠いなぁ! 地図で見ると何度確認してもカムイワッカまで13kmちょっとの行程なのに、「ここ行くのかぁ」と改めて思ってしまう。オッカバケ岳までは200mほど標高を落とし、また150mほどの標高を登る。ルート上にはゴツゴツとした岩がいっぱいで、今朝の雨に濡れて滑りやすく、その上に薮漕ぎというあずましくない登山道。
その、あずましくない登山道を下りきって、湿原のような場所をクネクネと無意味に曲がらされた辺りからはオッカバケ岳がきれいに見える。サシルイ岳の上から見てもそれほど高い山に見えなかったがコルから見ると全然高くない。標高差も150mほどなので、ウチから見る三角山のほうがよっぽど高く見える。オッカバケ岳の登りに取付くとサシルイ岳の眺望が美しい。サシルイ岳はダブルピークだが登山道は右側の低いほうを通っている。
オッカバケ岳の山頂に立つとようやくニツ池が見えて縦走路の全貌が明らかになる。ニツ池の向こう側は硫黄山の大きな火口を取り囲む外輪山のようで、グルっと半周してようやく硫黄山に辿りつける。山渓の分県登山ガイドではキャンプ地からここまで1時間とあるが、もう既に1時間30分を費やしている。コース状態を考えるとペース的には早いぐらいのつもりだったが、コースタイムには全然及ばず少し焦りも感じ初めてきた。
ニツ池までも道が悪く、ゴツゴツした岩や泥で足を滑らせること数回、池が近づいてくると湿地らしくエゾカンゾウが元気に咲いている。少し進むと、見たことのない薄紅色の花が...コバノイチヤクソウなんでしょうか、これは?
そしてニツ池に到着。チングルマの綿毛が拡がっていて花の季節に訪れたらどれほど綺麗だろうと思う。ただテント場は濡れていて、気持ち良く泊れる雰囲気ではなさそうだ。昨日、羅臼平で会った三人パーティもここにテントを張ったそうだが、張る場所がなくて苦労したと聞いた。大雪山の沼ノ原もそうだけど、やはり池塘のテン場ではあまり泊りたくないと改めて思った。ここで、時間は7時30分。計画では6時出発で7時10分着の予定だったから、歩行時計的には40分も遅れている計算だ。ただペースは時速2kmをキープしているので、問題があるとしたらガイドブックのコースタイム設定が無茶過ぎるということだろうか。ともあれ遅れていることは事実なので先を急ぐ。
幸い、ニツ池からのハイマツ林は刈られていて非常に歩きやすく、外輪山に立ってからは足下もしっかりして歩きやすくペースも一気に改善。ようやく稜線歩きらしくなってきて、左右の景色を楽しみつつ精神的にも随分と楽になった。写真はニツ池の向こう側にオッカバケ岳。
外輪に沿って少し進むと小高い丘のような南岳が見えてくる。登山道には少しハイマツが被っているが、これまでの薮漕ぎを考えたら全然楽勝。昨夜の雨で濡れていたハイマツも随分乾いてきているので山頂で雨具を脱ぐ。「涼しい~」、GORETEXとは言えどもこの季節に雨具は暑いなぁと、良い天気に感謝する。南岳の山頂は標識も何もない狭い空間で、地図やGPSで確認しないと山頂と気付かずに通り過ぎてしまいそうだ。
南岳から先は稜線的な風景は一旦なくなり、時折、湿地や草原を通る比較的平坦な道が続いている。写真は知円別岳手前に拡がるハイオトギリの道。写真だけを見ていると楽しそうな場所に思うかもしれないが、前半の薮漕ぎ等も影響して体力も相当消耗してきた上、登山道が大回りをしているので、進めど進めど全然硫黄山が近づいて来ない気がして心中は決して穏やかではない(^^;。
平坦な緑地帯を抜けで少し登ると砂礫地の高台に出るが、ここが知円別分岐。左手には硫黄山へと続く縦走路が、右手には東岳まで道が続いている。根室方面には高い山がないので、北方領土を除けば、おそらくここが日本最東端の登山道だろううと思うと感慨深い。ちなみに、国土地理院地図では東岳への道の表記はなく一本道で表記されている。
知円別岳からは難所の連続。まずは愛別岳を彷彿とさせる痩せた崩れやすい吊り尾根を行く。地図ではハイマツ帯の尾根に見えたので、まさかこんな展開は予想していなかったが、都合の悪いことに丁度この部分が風の通り道になっていて、強い風が吹き荒さぶ中、緊張感が漂う尾根渡りとなった。まずは、左の写真の岩塔部へ。岩塔部は巻くのかと思っていたら岩の隙間を縫うように道がついている。岩塔部はもちろん絶壁で高所恐怖症には辛い状況。まるでオプタテシケ山と愛別岳を足して2で割ったような山容だが、こちらのほうが断然辛い。岩塔の中で一息ついて「よし行こう」と先に進んだから、もう一つ痩せ尾根が...「まだ、あるんかい!!」とツッコミを入れつつ通過した。
そして吊り尾根を通過したら今度は雪渓渡り。そんなに斜度はないが疲れた脚でのキックステップは少しつらい。そして雪渓を渡りきると急坂が...この雰囲気を伝えたいと写真に撮ったら、アオノツガザクラが見事に咲く美しい小径の写真になってしまった(^^;。いや、ここ斜度45度の急坂なんですよ。
坂を登りきると標高1530mの高台で硫黄山がドーン、「うおぉ、スゲー」。切立った斜面でどこに道がついてるのか全然わからない。ここを行かねばならんのかと憂鬱な気分になってしまった。それでも、歩けばなんとかなるもので、一旦、岩盤の道を下り、少し標高を下げた第一火口分岐から硫黄山を眺める。ちなみにここで寡黙な先発パーティーに追い付いたが、「疲れたぁ」と話掛けたら「そんなに疲れるのはペースが速すぎる証拠」とか、硫黄山のコルにある標識がわかりにくかったので「この標識わかりにくいですね」と話したら「全然わかりにくくないよ。だって道一本しかないじゃない」と一蹴されてしまう始末。折角、人の少ない山域で出会った縁なのだから、何かを切っ掛けに楽しく会話したいだけなのになぁと思いつつ、会話の弾む相手でもなさそうなので硫黄山のコルで彼らを抜いて、黙々と単独で行くことにした。
硫黄山の登りは険しく、本当はザックをデポしたかったが、彼らにまた駄目だしされてもイヤだなと思い、途中でポールだけを置いてザックは背負ったまま、岩場の急坂を三点確保でよじ登る。山頂についたらガスの中、しばらく待つと少し晴れてきて、雲を被った羅臼岳が遠くに見えた。海側は海岸線が辛うじて識別できる程度だったが、まぁ、ここまで見えれば上出来かと思い、行動食を食べていたら、何故か無性に風呂に入りたくなってきて早々に下山することにした。
登りは写真どころではなかったので、下りで硫黄山の斜面を写真に...こんなところを登ってきたのです。10年前とかなら脚がすくんで動かなかったと思うけど、度重なる山行のおかげか、今ではこのぐらいの斜面で恐怖を感じることは殆どなくなった。唯一の心配は縦走ザックを背負っていることだったが、ザックが引っ掛ることもなく以外とスムーズに下りられた。
下山方向にはもう一つ痩せ尾根があって、またここを越えるのかと思ったが、そんなことはなく手前の涸沢へと道が続き、後は涸沢を下るだけの楽チンコースだと喜んで下っていたら...
「なんじゃこりゃぁ、道がねぇ!!」。途中で道が沢から折れていたのかと思ったが、よく見ると20mほど先の岩にペンキで○印が確認できるし、周囲を見渡したが巻いているような道もなく途方にくれてしまった。「窮鼠猫を噛む」と言うが、追い詰められた人間も中々強引なことを思いつくもので、強行突破することにした。地形を良く見ると断崖の下までは5mほどで数cmほどの足場もある。雪渓上までは岩場との隙間を利用すれば登れるかも知れないと思い立ち、即行動。まず、断崖の下りはザックを背負っていると下りられないので、悪いがザッ君とポールには先にダイブして頂いた。その後、空身でまずは断崖の下へ、そしてザックとポールを回収してから、右側の雪渓と岩の隙間に入り左足を雪渓にキックして、右足は岩の足場へ、少し滑ったが何とか雪渓上によじ登ることができた。登っては見たものの、これ冬道コースだとかいうオチはないよなぁと思って不安になるが、ペンキを信じて進むことにした。
途中何度も明確なペンキを目にして、もうあとは雪渓に沿って下りるだけと思っていたら、雪渓が途切れたあたりでまた難所。起伏が激しく沢に沿っては下りられそうもなく、脇を巻いて降りようと思ったが慎重に進んだものの、一枚岩に生えていた苔で滑り、沢のほうへ身体が...ザックの重みを利用して、体重移動で何とかギリギリで踏みとどまった。段差は2mほどだが下は一枚岩の沢で、下には崩れ掛けた雪渓も口を開けて待っている。生きた心地がしかなった。左の写真の奥が滑落仕掛けた沢。遠目で見ると全然大したことないんだが...。この難所を抜けたあたりで、下から登って来た男性に会い、「これで登山口までのルートが完全に確保された」と心底安心しつつ、登山道の情報を交換して雪渓を下るが、雪渓がなくなってからのほうが大変で、右の写真のような一枚岩の滑りやすい沢を延々と下って行く...これじゃ、登山道ではなくて原始の沢をそのまま下っているだけじゃないかと思いつつ我慢。
標高が1000mほどになってくると沢が細くなりき木々に覆われだす。国土地理院の地図では950m点に登山道への合流するように描かれていて、さっき会った彼の話だと登山道との合流点にはロープが張ってあると言っていたが、地理院の登山道表記は全くあてにできないし、ロープを見落として硫黄川のほうに進んでいるんじゃないだろうかと不安になってくる。結局、その心配は杞憂でほどなくして別な登山者が登ってきた。
件のロープはもうすぐそこで、ようやくまともな登山道に合流できると喜んだものの、道は荒れ放題でしかも急な登り。木々の生い茂る斜面に強引に道を付けただけで、木の枝を避けながら登る。気温も30℃近く汗だくの急坂というのもあり、もう完全に怒り心頭で、「こんな訳の解らん道つけたのは誰だ」と愚痴りつつ登った。登りはほど無く終了し、低木帯の下りになり大分心も落ち着いた頃に、縦走荷物を背負った男性が登ってきた。第一火口のテント場に泊ると言っていて、登山道の状況を聞かれたので正直に状態を伝えると「うわぁ、テンション下がるわ~(関西弁)」と言いつつも、行けるだけ行ってみると登っていった。ちょうどその時、別な男性も登ってきて「道連れができて良かったですね」と言っていたら、登ってきた男性は昨日羅臼岳で会った男性だった。彼も私が天候が不安で縦走しようかどうしようか私が迷っていたのを覚えていて、いい日に縦走できて良かったと言ってくれて嬉しくなった。
低木帯を抜けて新噴火口に出ると一変して砂礫地になるが、ここもペンキが消えていたり、ピンクテープが変な場所に付けられていて下山方向からは見えにくかったりと、何度もルートを確認するために立ち止まったり、引き返したりしながら下山。本当に最後まであずましくない登山道だなと思いつつ下っているとようやく海岸線に付けられた道道が見えてきた。「うぉぉ、道だぁ!道が見えるぅ」と思わず叫んでいた。ここから先は、登山口まで樹林帯が続くが、このあたりは熊も多い地域ということでより一層気が引き締まる。しかし、よりにもよってセミがジャカジャカ鳴いていて、熊鈴の音が完全に消されてしまう。しようがないのでホイッスルを口にくわえ、10mおきぐらいに吹いて、熊が避けてくれることを祈りつつの下山となった。
下山後は道道を少し引き返す。バス亭付近に止まる車や人の姿を見たときには、無事に戻って来れて良かったと心底安堵して、監視所のおじさんにバスやタクシーの情報を聞いてから、丁度、やってきた14:13発のバスに乗り込んだ。
ヤマレコで山行詳細が、Nikon image space(http://img.gg/yOQN4e3)で山行写真全てが御覧になれます。
三ツ峰キャンプ指定地(5:40)→サシルイ岳(6:20)→オッカバケ岳(7:10)→ニツ池(7:30)→第一火口旧道分岐(7:40)→南岳(8:20)→知円別岳(9:10)→硫黄山(10:20←休憩→10:35)→新噴火口(12:50)→硫黄鉱山跡(13:20)→カムイワッカ登山口(13:45)→カムイワッカ湯の滝バス亭(14:00)
今回のカメラ:「D7000」+「AF-S DX NIKKOR 16-85mm f/3.5-5.6G ED VR」
tarumae-yama Eメール URL 2013年08月18日(日)14時07分 編集・削除
私が登ったのは、2002年6月29日ニツ池にテン泊して同じコースを縦走しました。
登山道の大変さより、(稚内勤務時代でしたから)遠く稚内から相棒の中古のデリカで行きましたが、紋別市付近でアクセルのワイヤーが切れるというトラブルで、修理まで一日紋別市で足止めを喰らった事の方が大変でした。
キャンプ地の周辺が湿地帯で、登山靴を濡らさぬようハイマツの枝の上を歩くのがやっかいでしたが、その後、南岳や知円別岳辺りが大変とは全く思いませんでした。
ただ、随分と雪渓が残っていて、重いザックを担いでキックステップで急斜面をよじ登るのはしんどかったです。
あれから11年、林道整備に時間がかかったせいか、縦走する登山者も少なくて登山道が荒廃した状況になってしまったのかも知れませんね。
何はともあれ、無事に下山出来て良かったです。