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雲龍型航空母艦「天城」終焉の地に関する調査 続編

ツイッターで知り合った高倉伽月さん(http://jishatanbou.blog.fc2.com/blog-entry-268.html)から天城の新聞記事について教えてもらい調べに行ってきました。結局、道立図書館の北海道新聞は函館版がなく該当記事が見れませんでしたが、函館新聞のほうはプラゲ文庫があったので何とかなりました。

昭和23年8月19日、函館湾に浮き桟橋に加工された正規空母天城が到着。昭和23年7月15日に呉を出港した後、4ノットという低速で日本海まわりで曳航。途中、船体に亀裂が生じ秋田県船川港で補修、計35日の大変な航海だったようです。(昭和23年8月21日函館新聞)。


「こんな私でも平和日本建設のため、有川桟橋の付属品となる大志を抱いて来たのだが、来てみればやはり異郷の空、流れ者扱いされ誰もかまってくれない。何時になったら私を役立たせてくれるのか。私は巴湾に来てから悲しい日ばかり送っている。」…入港から約一か月、経費と資材のめどが立たず、放置された天城の無念さが擬人法で記事にされています。(昭和23年9月23日の函館新聞。)


これで航空母艦天城に関する調査は一旦終了となります。前にも書きましたが、この場所に記念碑とか立ててくれれば、また一つ、函館に観光名所が生まれるんだけどなぁ。